国際放射線防護委員会 (ICRP)がいうReference level 参照レベルとは
" Reference level
In emergency or existing controllable exposure situations, this represents the level of dose or risk, above which it is judged to be inappropriate to plan to allow exposure to occur, and below which optimisation of protection should be implement. The chosen value for a reference level will depend upon the prevailing circumstances of the exposure under consideration." ICRP103
「参照レベル
制御可能な緊急時又は被曝が現にある状況で、参照レベルは用量又はリスクのレベルを表している。それ以上では計画上、暴露をさせておくのが不適切と判断され、それ以下では防護最適化が図られるべきであることを意味する。選択された値は考慮中の暴露の現状によって違うものとなろう。」 ICRP103 ilelongue訳
緊急時暴露状況と現存暴露状況の文脈の参照レベル
参照レベルという言葉を、緊急時暴露状況と現存暴露状況の文脈でICRPは使っているのであるから、その文脈を離れたところで「安全」な値というのはそもそも誤りである。また、参照レベルというのは、それ以下の暴露では悪い影響を受けないレベルを意味するものでもない。
参照レベルは防護の基礎
参照レベルは防護の基礎である。つまり、防護策をとるかどうか、とった防護策が適切であるかどうかを判断する、防護策が適切であったかどうかを判断する(正当化する)基準である。 参照レベルより低ければ防護が適切であったと正当化できるわけだ。だから、「参照」なのだ。だから、「基準」なのだ。
参照レベルは安全の基準ではない
ここでいう、緊急時暴露状況と現存暴露状況における参照レベル(以下単に参照レベルと書くがそれはすべてこの意味である)は安全の基準値ではない。安全とされる閾値のない放射線の影響(特に大部分の発がん性)ではそれ以下で安全とされる、つまり、悪い影響はないという値は0でしかない。しかし、宇宙放射線を含め天然には放射線があり、1 mSvのオーダでの暴露は避けられない。でも、追加で人工的な暴露についてはそれを人工的に(人為的に)抑えることは可能であるのだから、放射線の暴露はできるだけ避けたほうが良いというのが基本的な考え方だ。
現存暴露状況における参照レベルは、許容できるレベル(allowable level)
放射線については悪い影響を受けるのと受けないレベルの境は安全サイドにたって0としなければならないから、安全レベル、安全な基準値は0でしかない。しかし、自然にも放射線の暴露があるのだから0にすることはできない。また、放射線が体にいい部分もあるから0にすることは適切でない。また、ごく一部の高い放射線レベルの地域を除き、天然の放射線はだれもが許容するだろう。 だから、「安全」とはいわずに「許容」できるレベルを参照レベルとするわけだ。ここでもう一度言う参照レベルは防護の基礎である。
3.11以前へ--それが国家的目標となるべきだ。
3.11以前のような安心を得る方法は極めて明快である(その時点でも食品の放射能汚染の懸念はあったのではあるが)。理念的には3.11以前の値を参照値とすることだ。3.11以前の食品汚染レベルは、日本の環境の放射脳と放射線 のウェブページで見やすくまとめてくれている、文部科学省による立派な仕事がある。
しかし、原発事故は取り返しのつかない影響を日本人と日本の国土、そして、世界の人々と地球に与えてしまった。 3.11以前に戻すのはそう簡単にはいかない。日本の国土、人、食品がすべて「現に被曝がある状況」(現存被曝状況)となってしまっているのだ。原発とはそれほど酷いものだったのだ。だから、参照値は安全基準値ではないのだけれど、原発を選択してきた日本国民としてその「罰」として、ある程度の暴露は許容せざるを得ないわけだ。将来の子孫にもその「罰」がおよぶことはなんともやるせないが。
食品の汚染レベルは最終的には3.11以前に戻すことを目標としなければ、原発事故からの回復をしたことにはならない。参照値はそのことを踏まえ設定されなければならない。
食品の安全安心
人によって食するものには偏りがあるのだから、食品を食することによる放射線の悪影響について、一般人向けの基準は、普通の食事(食事の平均的モデル)での許容できるレベルではなく、理念的には誰の食事でも許容できるレベルでなければならない。ばらつきがあるのだから、平均的な食事モデルで暴露する量より十分小さい値にしなければ誰もが安心できる基準とはならない。このように安全サイドに考えることを「保守的(conservative)」な考え方という。保守自民党というときの保守とは少し違う。
そのように保守的な基準値(参照値)が設定され、それを基準とした防護策がとれて、そのような食品の流通がされず、誰の口にも入らない状態となれば、本当の意味で人は安心する。
先にも述べたように、3.11以前の暴露状況に戻すことが、第一の目標だ。しかし、急には達成できない。しかし、その方向に政府が向かっていれば、国民は許容して安心するだろう。
現在の政府は決して3.11以前の暴露状況に戻すことを目標とはしていない。3.11以前の安心の基準となっていたさまざまな規則や慣習を次々と破っているのだ。どうしてそれで国民の安心が得られようか?